学問は通常自然科学社会科学人文科学の3系統に分類される。「自然科学」は数学や物理工学「社会科学」は経済学経営学、法学「人文(科)学」.は文学や芸術学となどをイメージしてもらうとよいであろう。英語ではそれぞれnatural science social sci。cehuianitiesとなる。人文科学には1’science¨という言葉が入っていない。人文科学が「humanities」と表現されているのは文学や芸術がそもそも科学の対象にはできないからである。人の感動を呼ぶ絵や詩の作り方をマニュアル化することは不可能である。ではなぜ日本では「人文“科”学」という表現が使われているのであろうか。これにはいくつかの理由が考えられるか「科学」という言葉の優位性は一つの論拠となり得る。19世紀は科学の世紀と言われ科学は近代的価値規範として無条件で良いものとされた。マルクスらも自分たちを“科学的社会主義者”と呼んだほどで科学という言葉は大きな魅力を持っていたのである。20世紀の後半になってくると公害や原子爆弾の被害により科学が無条件で良いものではないと考えられていったが科学が絶対的に良いものとして信じられていた19世紀に西洋の学問が日本に入ってきたため西洋でhumanitiesと呼ぱれていたものに「人文“科”学」という訳語を当てという推量は無謀ではない。監視カメラサイトはこちら
そもそもヨーロッパの大学(university)には理学部はあるが工学部はない。工学はinstituteで教えるものであり大学毎niversity)で教えるものではないというのがもともとのヨーロッパの考え方である。数学や物理は学問の根本をつかさどる形而上学的なものであるから大学という知の真理を追究するところで研究し学ばれる。工学はあくまでも実生活上の応用技術に過ぎないので大学で教えるにはふさわしくないと考えられてきた。したがってこれまでのヨーロッパでは工学は専門学校で教えられてきたのである。しかしアメリカの場合はヨーロッパとは逆でブラグマティズムの発想から役に立たない学問はそもそも学問ではないと考えられている。アメリカの考え方からすると工学は立派な学問である。社会科学についても同様の説明を与えることができる。経済学については学問としての経済理論をやっても利益の得られる会社をつくれるわけではなく社会の仕組みを解明する学問であるが故にヨーロッパの大学には経済学部がある。しかし会社を経営し利益を上げる手段を教える経営学はやはり実社会への応用技術であるから経営学部は基本的にはヨーロッパには無い。一方アメリカでは経営学は立派な学問として扱われている。
(参考情報)相模原不動産ガイド